蛙羅漢の徒然草

古参のオタクもどきのつぶやき

時間差攻撃

大都市圏の出身者にはわかりづらいことでしょうが、地方部は、平成の初期までその県をサービスエリアとする民放TV局が3局以上ある県はほとんどありませんでした。(今でも4局ない県も結構あるようです(11県)

日本は、日テレ、TBS、テレ朝、フジの4大ネットが全国を覆い、大都市圏だけを繋ぐテレ東系とその他の独立放送局で地上波は成り立っています。

そのため、ローカル局が4局ない地方では、流れていないネット局の番組は、本来の時間外に流れることになります。(場合によっては、本来のネット局の番組と入れ替えて流される場合もありますよね。。。)

 

 電波は、止めることはできません。だから場所によっては、複数県のTV電波を拾うことのできる場所があります。

 私の生まれ育った場所は、愛媛、香川・岡山地区の電波が拾える場所でありました。

高校生のころまでは、愛媛2局(日テレ系とフジ系)と香川・岡山3局(日テレ・テレ朝・TBS)の5局とNHK2局を見ていました(岡山には、フジ系の放送局がありましたが、うまく受信できませんでした。中継局の配置の関係だと思われます)。

 これが別の地区の友人宅だと、愛媛2局、香川・岡山4局、広島4局を見ることができていたそうです。

 昔は、アニメなんかの地位は低かったので、結構時間をずらして放送する局がありましたし、ネットされていない局の番組を別の時間で流したりするので、同じ番組をVTRなしで何回も見ることができる場合がありました。

 高校生になったころ、「機動戦士ガンダム」が始まりました。

 これを、私は、香川系のテレ朝ネット局と4週遅れ位の地元の日テレ局で見ていました。WIKIには、広島地方と、岡山・香川地方の放送時間が同じだと起債されていますが、私の記憶では、土曜と金曜とに分かれていたはずです。そのため、知人は、ガンダムを3回見ていて、結構細かく語っていたのを覚えています。。。

 

My Firsy Anime

と言っても、しっかり覚えていませんよね・・・

 

アトムの本放送が始まったのが、生後5か月ほど。

家には、母の嫁入り道具として、すでにTVがあり、父の従弟たちが、よく見に来てたとか・・・

「ビッグエックス」とか「W3」とかの手塚アニメが最初ですかね。

最初からしっかり見たのって、「海のトリトン」だったりします。

けど、これも、再放送かも。

 

昭和40年代の初めだと、ミカンの国には、NHKの総合と教育以外は、南海放送しかなかったんですよね。

でも、私の生まれたところは、ミカンの国の北端部で、瀬戸内海に突き出した半島の西側。TVの電波って、海上だと減衰が少なくなるので、岡山・香川の「西日本放送」と「山陽放送」が視聴できました。「西日本放送」は、南海放送と同じ日本テレビ系。山陽放送は、TBS系でした。

 このころ、ほとんどの地方で地上波4波すべてを見ることができないので、その地方で流れてない番組を別の時間で放送することがよくありました。

 そのためか、早朝や夕方にいろいろなアニメや特撮なんかの子供向け番組が放送されていましたので、よく見たものでした。。

 

 

 

開設の挨拶

 ミカンの国の北端の町に棲む「蛙羅漢」と申します。

 まあ、「around還暦」のもじりです。

 

生まれたころから、家にテレビがあったので、「テレビっ子(すでに死期)」の走りですかね。。

いまだに、マンガやアニメ、特撮から足が洗えていません。

 

とはいうものの、昔ほどの情熱はないので、よっぽど気に入ったものしか見ることはなくなっています。

割と書かれていない、昭和から平成初期の地方のオタクの置かれていた状況とか、思い出話、などの雑談を書いていこうと思います。